狭間に落ちないため
時代と時代の狭間。
父と母の狭間。
文化と文化の狭間。
健常者と障害者の狭間。
そういうところに落ちてしまうと、どうにかなってしまうというクレバスが世の中にはあると思う。
クレバスの底の底に落ちて帰ってこられなくなった人もいる。
僕はクレバスに落ちて下の方で辛うじて引っ掛かってるようなものかもしれない。
どうしたらそのクレバスに落ちずに生きていられるか。
あるいは上がってこられるか。
建設的に生きることではないかと思う。
まともな顔でスタスタと歩いていればクレバスも出てこない。
上がるときもそうだ。
そういうところで文を終える。
この建設的というワードはとにかく島野隆氏のサイトに出てきた。
間違いない。
他人の一言という飛び道具。
あるいは上がってこられるか。
まともな顔でスタスタと歩いていればクレバスも出てこない。
上がるときもそうだ。
間違いない。
一応書きます
溜めてたものを全部出したので連続の投稿になりました。
次からまたゆっくり投稿していきます。
誰か見てくれたら嬉しいな。